小野健の敷地内に立つ土蔵は、2006年に国の登録有形文化財に指定していただきました。震災で大きな被害を受けましたが、2017年に修復が完了。土蔵は40センチ持ち上げられ、後方へ35センチ動かされるなど大規模な工事でした。
おかげさまで黒漆喰塗の重厚な扉、白漆喰塗に海鼠壁の外壁、また雲に鶴、波に亀など海をモチーフにした鏝絵装飾が良い状態で保たれています。
九州に取引先が多い関係で、代々古伊万里の収集も行ってきました。お問い合わせがあれば、それらをご紹介しております。
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3枚蔵戸(くら戸)
1枚目[奥]かなあみ格子戸(しかけ鍵)2枚目[中]けやき坂戸(しかけ鍵)3枚目[前]白漆喰戸。
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切妻造正面屋根
切妻造りは神社仏閣など格式の高い建造物に使用される日本建築の重要な要素を持っている。
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からくり床板
盗難や防犯上、2階への階段は非常に狭い、大切な荷物や物資の保管をするため、2階の床がはずれ荷物を滑車でひとつずつ吊り上げられる様工夫がされている。
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土台の一本石(大御影石)
長さおよそ6.5mの長い石である。現在では採掘できない長い石である。
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なまこ壁と水切り
当蔵のなまこは、魚問屋の蔵でもあるため、海の波を表している様に見える。水切りは海の上に船が浮いている様を表している。雨どいはかもめが空を翔んでいるカタチになっている。
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正面のこて絵 つるとかめ
つるの絵―空には吉祥の千年つるが左右に飛んでいる。 かめの絵―左右「阿吽」でなまこ海の中央正面に喜祥の万年かめが鎮座している。
庭園に梅、桜、松、かえでなどの樹木、石庭を設けるのは富の象徴とされているが、それにも増して言えるのは土蔵を持つ意味であると昔々から話されている。土藏には富貴の象徴である大黒様が宿ると言われ、藏の数が多いほど、多くの財宝があるとされていた。家、屋敷の広さだけではなく、藏を持つことにステータスを昔からの商人は感じていたのである。また、藏のシンボルでもある大黒様、現在においても各家庭で家を建てる柱の大黒柱の大黒もこれから来ているものである。
大正5年頃(当時18歳)に、黒潮暖流を追って三陸沖に北上するカツオ一本釣船団の廻来船に着目し、紀州沿岸東部や高知西南地域の船主宅を何年も回って、気仙沼港への入港水揚を誘い続けた。それは、気仙沼港における全国からの漁船誘致の先駆けとなった。現在でも魚問屋業に初代健之助の企業理念が生き続けている。
土蔵のストーリー
- 昭和21年8月
- 小野健商店土蔵は終戦後間もなく施工主小野寺健之助、施工棟梁茂木福治のもと、気仙大工の村上慶一郎、大工集団により着工を始める。
- 昭和25年9月
- 約4年の歳月をかけて土蔵工事完成となる。
- 昭和25年10月
- 鮪漁業と廻船問屋をなりわいとして船の食料品、薬、船具類の収納、貴重品の保管庫として使用。当時より家主以外出入り禁止。
- 平成18年3月2日
- 国より登録有形文化財に認定(第04055号)
- 平成23年3月11日
- 東日本大震災により壊滅。
- 平成28年12月
- 文化庁、ワールドモニュメント財団、フリーマン財団様等、全国の皆様から援助を受け、復興工事開始。
- 平成29年8月
- 復興再建完成となる
- 平成29年9月
- 様々なイベントを開催する。主にくらしの古伊万里展、木のぬくもり展。土人形展、風待ち復興ミュージアム展など